HOMENOVEL

セイレーン〜novel side.

07.エーレ2


 聖グレゴリオ中央教会ローレライ支部は、テーナ地方でも屈指の教会施設だ。
 数百年前まで貴族の城だったこともあり、その名残が今でも伺える。地下には通路が張り巡らされ、牢まであるという噂だ。
 海を望むなだらかな斜面に築かれた街の上部に位置し、眼下に広がる街並みから遠く地平線の先まで見渡せるようだ。
 重厚な壁に囲まれ、緻密な細工の施された扉を押せば、立派な講堂へ繋がっている。半円型に広がるそこは、斜め奥に巨大なパイプオルガンが備え付けられ、側面や天井のステンドグラスを通して煌びやかな光に満ち溢れていた。
 中央には微笑みを湛えた女神フォルトゥナ聖像が佇む。
 老若男女、多くの人々が訪れ、神聖な祈りを捧げていた。
「「・・・・・・・・」」
 その後方を出来るだけ静かに、フィーとテオドールは通り過ぎる。
 一般に解放されている教会とは別に、奥にも教会は続いているそうだ。テオドールはもう慣れた様子でスタスタ進み、初めて知ったフィーはキョロキョロと周りを盗み見しながら着いていった。
 フィーがいつも行く聖ローレライ大聖堂にはいない門番までも在駐している扉を抜ける。
 少し言葉を交わしただけですんなり通行を許可されたテオドールの、色々な凄さをフィーは改めて実感した。
「失礼します」
「・・・・つ礼します」
 シスターに聞いて二人が向かったのは、二段で構成された円形の噴水がある庭に面した回廊、いくつもの似たような扉が並ぶその突き当たり。
 テオドールがノックをすると、中からくぐもった返事が聞こえた。
 内側に開いていく扉の隙間から、少しずつ室内が見えくる。
 部屋の中央に置かれた机は、出口の方に向けられていた。椅子に腰掛け紙面に目を落としていた白衣の男性は、意外な姿を見止めて瞼を少し動かした。
「テオドール?、何かあったのか?」
「おはようございます、父さん。お忙しい中申し訳ありません。ですが友達を診て貰いたくて来ました」
 テオドールの父、マグドアは息子の言葉に眉をひそめる。その視線はテオドールから、後ろで小さくなっているフィーに移された。そのまま少し一考するように黙ると、徐に手にしていたカルテを机に置いて立ち上がる。
「君は確かリゼーヌさんの所の」
「フィ、フィーです。おひさし、ぶりです・・・・」
 目を細めて凝視され、フィーはより一層萎縮してしまう。
 母親のリゼーヌが通院していたものの、フィーが一緒に付いていったのは数えられるだけだった。何故か付き添いはあまり薦められず、フィーは家で一人お留守番か教会に預けられることが多かったのだ。
 加えてフィー自身は病気も少なく過ごしてきた為、あまりお世話になったことがなく、『マグドア先生』は正直恐い感じがして苦手だった。
 マグドアは身長も高く、 厳格な面持ちで愛想も良い方ではなかった。
 白衣と対照的な焦げ茶色の髪はオールバックで纏められ、テオドールと同じ瞳の色が際立つ。仏頂面が並べば嫌でも親子と分かるだろう。
「〈友達〉を診るという事はリゼーヌさんの用ではなく、フィーさん自身が診察を受けたいと?」
「あ・・、はい・・・。えっと・・、・・その・・・」
「昨日の嵐に巻き込まれて体調が心配だとリゼーヌさんが病院まで来られました。聖フォルトゥナ祭を控えているので念の為にと」
「そうか、フィーさんも聖歌隊のメンバーだったね」
「は、はい・・・・」
 縮こまっているフィーの代わりに、テオドールが端的に説明を終えてしまった。フィーはまた恥ずかしさを思い出して、頬が赤くなってしまう。
 そんなフィーとテオドールを見比べてから、マグドアは足元に置いてあった鞄の中から、医療器具を取り出した。
「分かった。ならば仕事の合間ですまないが、少し診させてもらうよ」
「す、すみません・・・、ありがとうございます・・・っ」
 フィーはうつむきながら頭を振り、促されて左手の壁に寄せられたソファーに寝転がる。口を開けたり脈を診たり、手で軽く叩かれたり。
 その間、テオドールは机上の書類に然り気無く目を落としていた。
「こちらの様子はどうですか?」
 テオドールの何気無さそうな質問に、マグドアの手が一瞬だけ止まった。
「ああ、思ったよりも掛かりそうだな。当分院には帰れそうにない。変わりの者に代診を頼もうと思っている」
「・・・・・・」
 淡々と答えるマグドアの方に軽く視線を送り、テオドールは続ける。
「セイレーンの討伐は順調ですか?」
「・・・・・・・」
「?」
 マグドアは今度こそ完全に手をとめて、何故かフィーをじっと見下ろした。瞬きをして見返すフィーの変わらない様子に、静かにゆっくりと溜め息をつく。
「あまり、芳しくはないな。昨日、大規模な討伐が行われた。その負傷者が思いの外多い」
「「・・・・・・・」」
 表情を変えずに、しかし声音は少し強ばったようだった。
 フィーも〈セイレーン〉という単語に思わず反応して硬直してしまう。頭に過ったものは、洞窟に横たわるあの姿だった。
「負傷・・・、というと誰か〈被害〉にあったんですか?」
 質問を重ねるテオドールに、マグドアは直ぐには答えなかった。眉をまた少し潜め、ゆっくりと自分の息子を振り返る。
「テオドール」「大丈夫です」
「・・・・・?」
 間髪入れず返されたその言葉の意味が、フィーにはよくわからなかった。
 マグドアはじっと息子を見返し、しかし全く揺らぐことのないその瞳に諦めたように嘆息する。それを是と受け取ったテオドールは質問を重ねた。
「セイレーンは人を喰らうと聞きます。人体が主食なんですか?」
「・・・・・・。いや、そういう訳ではない。実際に人を喰うのはハルピュアの方だ。よく解ってはいないが、 セイレーン達は魔性の中でも、生気、つまり〈エーレ〉を喰うというのが正しいな」
「エーレ?」
「ああ。セイレーンに魅せられた人間がよく自我がなくなるだろう?それは〈エーレ〉を抜き取られたから、というのが私の見解だ」
 マグドアは説明をしながら向き直り、申し訳ないとばかりにフィーに軽く頭を下げる。それから手を差し出し、起き上がるよう促した。
 フィーはゆっくりと上体を起こしソファから両足を下ろして、靴を履こうとした手を、止める。
「〈エーレ〉って、どういうもの何です、か・・?」
「・・・・・・・」
 テオドールではない、フィーから向けられた質問に、マグドアは瞬きを一つした。
 息子がこの手の話に異様に食い付くのはいつもの事で半ば諦めてはいたが、普通なら気味悪がるこの類いの話に目の前の少女が入ってきたことに、マグドアは少し驚いた。
「〈エーレ〉・・・と云うのは〈いのち〉の最小単位だ。私達の体を動かす大切な要素といっても言い。エネルギーの源、といったら分かりやすいかな?」
「エネルギー・・・・」
「ああ。そのエネルギー源である〈エーレ〉があるから、私達は生きることが出来る」
「・・・セイレーンだけが、その〈エーレ〉を食べるんですか?」
「いや、そういう訳ではない。生きとし生けるもの全て、人間も〈エーレ〉を持ち、それを補填しながら生きている。例えば毎日の食事も同じだ。栄養もそうだが、同時に〈エーレ〉を食べて生きているんだ」
「みんな〈エーレ〉を食べてる・・・・?」
「ああ。セイレーンはそれを意識的に、より大量に摂取する術を持っていると云えるな」
 マグドアは出来るだけ分かりやすく、言葉を噛み砕いて説明した。聞き入るフィーの顔は真剣そのものだ。
「他には、何か食べないんですか?」
「他に? ・・・そういえばセイレーンが以前、アペの実を食べているのが目撃された事がある。その時たまたま口にしていたのか、常食にしているのかはわからないが」
 だから今回アペの実に毒を塗る方法も考えられたが、農家の反対を受けて・・・、とマグドアの話は尽きることがなかった。
 仕事という理由を越えて、マグドア自身の知的好奇心も重なり、普段口数が少ない彼も饒舌になっていた。テオドールの質問に最後は詳しく答えてしまうのは、その理由も少なからずあるのだろう。
 フィーはアペの実・・・と反芻し、呟く。
「なら、怪我とかしたら、どうすれば治りますか?!」
「・・・・・・!」
 面を上げて前のめりになりながらの問い。
 顔色を変えたのは、机上の書類に目を落としていたテオドールだった。
「ああ、怪我を負った人は音楽療法を中心に治しているよ。〈エーレ〉の回復にはそれしかない」
「そっちじゃ」なくて、と言い募ろうとしたフィーを静止したのは、
「・・・・・・」
 真っ直ぐに見据えられたテオドールの眼差し。
 碧色に僅かな非難の色を溶かし、フィーを映し込む。
「っ」
 幸いにもマグドアが主語をを取り違えてくれたお陰で問題にはならなかったが、夢中になっていたフィーは軽率な真似をしたと口をつぐんだ。
「そ、そうなんです、ね。・・・ご、ごめんなさい・・・」
「いいや? こちらこそあれこれとすまなかった。難しい話を色々してしまったね」
「いえ・・・!とても、とても、勉強になりました・・・」
 テオドールの視線から逃げるように、フィーはそくささと靴をはく。
 マグドアが立ち上がると、その背中にまた質問が寄越された。
「今回の討伐でセイレーンを捕えましたか?」
「・・・いや、今回はまだだ。全て取り逃がしたそうだ」
「なら被害がまだ出そうですね」
「ああ、そうだ。これからもっと忙しくなるよ」
 器具を元あった場所に片付ける音と二人の会話を頭上に頂きながら、動揺をなんとか押さえてフィーも腰を上げる。
 それでも俯いたままのフィーに、比較的和らいだマグドアの声が掛けられた。
「フィーさん。〈エーレ〉の話ではないが、見たところそれも体力も消耗しているようだ。聖歌隊の事を考えると、本番に備えて今日明日は休んだ方が良い。家で暖かいスープでも作ってもらって、よく寝なさい」
「あ、はい・・・!」
 ぺこりと頭を下げたフィーを、マグドアはじっと見つめる。
 少しだけ不自然な沈黙が下り、顔を上げたフィーは首を傾げた。
「・・・家ではリゼーヌさん、お母さんの様子はどうだい?」
「え? お母さん、ですか・・・? 元気、ですけど・・・?」
 思わぬ質問にきょとんとして見返すフィーに、マグドアは、そうかなら良かったと首を横に振った。
 そのやりとりを見ていたテオドールも何か思うような素振りで口をつぐんでいた。
「―――お忙しい中大変失礼しました。ありがとうございました」
「本当に、ありがとうございました・・・っ!」
 仕事に戻るマグドアに深々とお辞儀をして、テオドールとフィーは部屋を後にする。微かに口角を上げたマグドアの姿が、扉の向こうに消えた。
 行きとは正反対に足元を見つめながら、フィーはしずしずと歩く。先を行くテオドールの背中にか細く謝った。
「テオドール。ごめん、なさい」
「いや」
「・・・・・・・」
 いつも通りの素っ気ない返事が、まるで氷の刃のように突き刺さる。
 仕方がない。
 不用意にもあんな直接的にセイレーンの事を聞こうとしてしまったのだ。もし気付かれたなら最悪、またセイレーンに被害が及んだかもしれない。
「・・・・・・・」
 テオドールが此処に来たのは、セイレーンに関する情報を手に入れる為だったのだ。
 上手に話を進めてくれていたテオドールと自分のあまりの落差に、フィーは本当に申し訳ない気持ちに苛まれる。落ち込みのあまり、顔を上げることが出来そうもなかった。
 そんな様子を見かねてか、テオドールが静かに立ち止まり振り返る。
「ここは中央教会だ。細心の注意を払うべきだ」
「うん・・・。ごめんなさい・・・」
 小声でも強く念を押すテオドールに、フィーは重ねて謝る。
 両手でスカートを握り締めていると、不意に既視感を覚えた。
 それは少し前までの聖歌隊での練習風景。度重なる指摘を受けて萎縮していたあの頃。
 セイレーンと出会いその歌を聴いて、テオドールともこうして話すようになり、色々な事を知った。
 ―――一変した世界。
 そのきっかけをくれたのは他でもないセイレーンだ。セイレーンがくれた沢山の変化。
 それなのに自分は・・・と、フィーはまた昨日の無力感を思い出して、自分の不甲斐なさに唇を噛み締める。
「・・・・・・」
 思い詰めたその姿に、テオドールは溜め息をついた。
 そして少しの間があってから、口にしたのは全く違う話題。
「リゼーヌさん・・・」
「・・・・・・?」
 突然母の名前を呼ばれて、フィーの意識は表層に上がった。力なく視線だけを上げると、テオドールの訝しげな顔とぶつかる。
「お前、本当に何も知らないのか?」
「・・・・・・?」
 尋ねられた意味がわからず、フィーは瞬きをする。
「何、・・・・を?」
「・・・いや、ならいい」
「?」
 テオドールは言うだけいうと、身を翻し足早に歩き出してしまった。
 訳もわからず立ち尽くしていたフィーは、テオドールの姿が曲がり角に消えていったところで、慌ててその後を追う。
 ふと、脳裏に過ったのは今朝の出来事。
 セイレーンの話を聞いた途端、豹変した母の姿。
『 あんな・・・気味の悪い、忌まわしい屑鳥なんて・・・ッ! 』
『 ・・・家ではリゼーヌさん、お母さんはどうだい? 』
 蘇ってきたリゼーヌの声と、先のマグドアの声もハウリングしだして、殺した足音を更に掻き消していく。
「・・・・っ・・」
 なんとも言えない不安が胸に立ち込めていった。
 しかしテオドールの後に付いていくのに必死になって、フィーは意識的にか無意識的にか、抱いた疑問を教会に置いてきたように忘れてしまったのだった。





 断末魔が聞こえる。
 外を埋め尽くすのは、巨大な羽根。
 辺りを恐怖の渦に沈め、狂気と血飛沫を撒き散らす悪魔の羽根。
 布団を頭から被り身を縮める。
 震えが止まらない。
 ガチガチとぶつかる歯音は居場所がバレてしまうのではないかと思わせる程大きい。
 獣のような呻きが漏れる。
 恐ろしかった。ただただ、恐怖に身を強張らせた。
 時おり耳をつんざく高音が壁を震わせる。
 羽ばたきは、世界の終焉を思わせる絶望の鐘。
 不意に、音が止んだ。
 不気味な間が落ちる。
 幽鬼のように目を見開きながら、恐る恐る顔を上げた。
 直後、
「―――――?!」
 粉々に砕けた窓硝子。
 吹き込んだ突風。
 部屋の中の家具がおもちゃのように舞い上がる。
 細い針金のようにへしゃげた窓枠の向こう。
 両翼を広げた忌まわしいシルエットが浮かんでいて。
 そして―――――




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