HOMENOVEL

セイレーン〜novel side.

04.セイレーン〜貴女に会いたい〜1


「フィーさん!最近とても良いですね! その調子で本番に臨みましょう!」
「あ、ありがとうございます・・・」
 第一楽章を歌いきったところで、滅多にないマルシアの誉め言葉にフィーは赤面した。続いた「無断で休んだ時はどうなることかと思いましたが」という言葉に小さくなりつつも、顔が緩むのを押さえきれない。
「さあさ、皆さんもラストスパートですよ! 本番まであと半月を切りました! 最後まで気を抜くことなく、練習に励みましょう!」
 ぱんぱん! と小気味いい音を立てて、マルシアは手を叩いた。反響を背にしながら舞台を見渡すと、含んだような笑みを浮かべる。
「―――そこで朗報があります!今年のフォルトゥナ祭には、王都の聖グレゴリオ総本山から、大司教エドワルド様率いる大楽団隊が正式に、このローレライに参られることが決まりました! その中には現女神の御子と謳われるユリスティーナ王女もいらっしゃるとのこと!」
 ざわざわと、直ぐ様子供達にどよめきが走った。その反応は最もだというように、マルシアは咎めることなく享受する。
「噂、本当だったんだ!」
「王女?! 王女も来んの?! すげえっ」
「俺聞いた。なんでも大司祭さまが次の御子を選びに来るらしいぜ」
「テオドールか?」
「テオドールでしょ。次はテオドールだって、皆言ってるもの」
「すげーなー」
「でも、私達も直接楽団に歌を聞いて頂けるんだわ!」
「スカウトされるかも〜?!」
「そしたらあの大楽団に入れんのか?!」
 瞬く間に色づき始めた子供達を、マルシアは嘆息しつつ見守る。ただ、中には反応が違う子供もいた。全く表情を変えない一人と、顔をゆるませにやついている一人。皆の中で浮いている二人を交互に見つつ、マルシアは腰に手を当てた。この朗報を練習中に告げたのは、勿論はしゃがせる為ではない。
「良いですか皆さん。これは滅多にない機会の中でも、またとない機会です! これからは更に気合いを入れて、練習に取り組みましょう!」
「「はい!」」
 効果は覿面だった。マルシアの目論み通り、子供達の返事と目付きが変わった。歌に対する意気込みが段違いに跳ね上がる。練習はいつもより長めになったが、もっとして欲しいという声が上がった位だ。休むことも必要と授業が終わった頃には、既に月が昇り始めていた。
 また夜が訪れた。深い深い藍に映り込んだ月が少しずつ太っていく。
「テオドールのお陰だよ! 本当にありがとう!」
 いつもの場所で、飛び上がらんばかりの勢いで手を組んだフィーに、隣のテオドールは肩を竦めた。
 岩にぶつかって方向の変わった風に互いの髪がなびく。
 あれから毎日のように、二人はこの海辺に通っていた。約束をしたわけでもないのに、決まって顔を合わせる。
「ほめられたの久しぶり・・・嬉しいな」
「いつもそうやって歌えばいんだよ」
 少し雲が多くなってきた空を見上げながら、テオドールは何の気なしに言う。フィーは高揚する胸に手を当て、同じように空を仰いだ。
「ふふ、フォルトゥナ祭かぁ・・・大司祭さまも、御子姫さまもいらっしゃるなんて、お母さん知ったら倒れちゃうかも」
「そこまで?」
「お母さん、フォルトゥナ様大好きだから。あのマルシア先生よりも!」
「それは、相当だな」
 自然と笑みが零れ、肌寒くなってきた夜をほんのりと暖める。
 少しほてったフィーの頬に触れる風も心地良い。
「女神の御子、次はテオドールが選ばれるんだよね?」
「お前までそういうことを・・・。単なる噂だ。それに、そんなことはどうでもいい。オレが教会をどう思っているか、言っただろ」
「でもすごいよ!」
 懲りないフィーに、テオドールは呆れたように半眼になる。きらきらしたその横顔に目を細め、少しだけ間があった後、濃緑の瞳はそらされた。
「それよりも今日で何日目だ? セイレーンが来る気配が一向にないんだが?」
「そう、だね・・・。前にここに来たのは、たまたま寄っただけなのかな? でも、他に宛と言ったら・・・」
「ああ。カテナ山は今特別警戒区域だからな。オレ達が入れる場所じゃない」
 ・・・うーん、とフィーは唸りつつ首を傾げる。テオドールも何かないかと、遠くを見渡しながら考えた。
「そうだ! いつも行ってるお花屋さんが、カテナ山辺りの花畑で摘んでるって聞いたよ! それに一緒させてもらったりとか、出来ないかな?」
「そう、だな・・・。良いかもしれないな」
「なら決まり! 明日、頼んでみるね?」
「頼んだ」
 胸の前でぎゅっと手を握りしめながら何回も頷くフィー。その様子を見て、テオドールは一つ瞬きをした。
「今日はやけに上機嫌だな」
「だって、嬉しいんだもん!」
 抑えきれないとばかりに、立ち上がったフィーをゆっくりと見上げる。
 瞼を閉じ胸いっぱいに潮の香りを吸い込んだ少女は、とても気持ちよさそうに微笑んだ。二つのお下げが風になびき、小さな羽のように広がる。淡い光に灯されたその姿は、少し妖精のようにも見えた。
「また、歌ってもいい?」
「ああ。好きなだけどうぞ」
 巡らせていた頭を元に戻して、テオドールも瞳を閉じる。一拍を置いた後、聴こえてきた歌声に耳を澄ませた。

「―――Aah・・・」

 最初はばらついていたフレーズも少しずつまとまりを持ち始め、今はもう何度繰り返しても揺るがなくなっていた。それは形に囚われたものではなく、心から紡がれた想いの歌。
 テオドールは、素直なその歌に聞き入る。胸をすくような心地よさだ。
 フィーの内から溢れる想いに誘われるように、まるで天からの使者が舞い降りてくる光景を思わせた。静かでいて雄大な羽ばたきが聴こ――――
「え・・・・・・?」
 ふと。
 唐突に歌が止まる。周囲を取り巻いていた幻が掻き消える。
 フィーは目を見開くと、弾かれたように背後を振り返った。眼前に広がるのは、もう見慣れてしまった高い岩壁と遠い街明かり。
「テオドール、今・・・」
「ああ、聞こえた」
 音もなく、テオドールも立ち上がる。
 二人は緊張の面持ちでその方向を見つめた。
 フィーが歌を止めたのは、別の音が聴こえてきたからだ。それはそう、空から鳥が下りてきたような、翼のはためく音。
「行こう」
「う、うん・・・・!」
 真っ先に歩き出したテオドールの後を、フィーもつんのめりながら着いていく。危うい足場を跳び跳ねるように、しかししっかりとした歩調で進んだ。
 鼓動が激しくなる。脳裏に浮かぶのは、月夜に浮かぶあの御姿。
 ・・・また会える、の・・?
 一歩近づく毎に、蕾が綻ぶように期待が膨らむ。胸が高揚する、熱くなる。迷いは何もなかった。ただひとつの想いだけに突き動かされる。
 一際岩礁が切り立った一帯に辿り着く。岩壁が間近に迫ったそこは月明かりも朧で、少し陰りを増していた。僅かな光源が海にきらきらと反射する幻想的な風景の中で。
 ちょうどいい隙間から、二人が恐る恐る覗き込んだそこには、
「?!」
「な・・・っ?!」
 フィーとテオドールは硬直する。
 二人が目の当たりにしたのは、目を疑う光景だった。
 ―――たゆたう水を編んだような髪が扇状に広がる。
 白銀の羽が散らばり、力なく閉じられ浅瀬に浸かっている。彫刻のように美しいであろう面差しは白く青ざめ、生気を失っていた。
 まるで眠り姫のように目を瞑り、波に揺られていたのはフィー達が切望していた存在。
 ―――魔性セイレーンは、波間に浮かぶ海草のように、倒れていた。あの日のように歌を歌うこともなく、ただ静かに。
 淡い希望は一瞬にして色を変え、夜の闇に掻き消されていった。







〈歌〉は、人だけに与えられた恩恵だと言う。
 女神が授けたという聖歌に、人以外のものは蝕まれる。
 ならば。
 鳥が、魚が、花が、木が、生きとし生けるもの全てが歌っているのは何だと言うのだろう。
 忌まわしいあの記憶が甦る。
 追いやられる魔性とされる生き物達。
 歌は殺戮の兵器か?
 歌は人間のものなのか?
 一番恐ろしいのはそう、―――――




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