HOMENOVEL

セイレーン〜novel side.

12.ふたりのセイレーン〜ともに歌を唱いましょう〜1


 ・・・貴女に会いたい。
 胸を締め付ける切ない想い。
 苦しい。でも、あの月夜の海にたゆたうような安らぎも感じる。
 祈るように、ただその姿だけを願う。
 次第にボヤけていた輪郭がはっきりと濃くなっていく。
 あの日伸ばした手は届かなかったけれど、この手はもう繋がれていた。
 新たな光が見えてくる。
 ・・・貴女に会いたい。
 ─────。
 少女の静かな、強い気持ちが、

 心と心を、繋げる。

「・・・どうしてだろう。」
 頑丈な鎖にがんじがらめにされ自由を奪われている。
 生まれた時から疑うことのなかったそれの、違和感に初めて気が付いた。
 困惑する雛に寄り添うように、どこからともなく漂う薫風は、届く。
『我々のせいで、すまない。』
「・・・そんなことない。したくてしたことだから。」
 温かい羽に抱かれるような心地よい声音。懐かしくて愛しくて、どこまでも安らぎに満たされるようだった。
 けれど、一抹の不安も混ざってはいた。
「・・・でも。どうして、こうなってしまったの?」
 それは一つの出来事に対する問いではなく、もっと根元的な、漠然としていたがもっと本質的なものに対するものだった。
 皆まで言わずともその意は、間違いなく汲み取られる。
『―――我々と人とは、相容れない存在だからだ。』
「・・・どうして、相容れないの?」
『―――始まりから何から全てが違う。事の考え方、意識、感覚、世界の見方、何から何まで。言葉通り、凡てだ。』
 淡々とした、しかしどこか憂いを含んだ物言いだった。
 初めは突き放されるような衝撃を受けて何も答えられなくなる。
 でも、
「・・・でも、同じ<いのち>だよ?」
 やがてぽつりと、あまりにも自然に溢れでたそれに、自分でも驚いてしまう。例え僅かな時間でも共有したからこそ、織ることの出来た素直な気持ちなのだろう。
 長い長い沈黙。
 直ぐに答えはなかった。
 相手が消えてしまったと錯覚する間があった。自分の言葉が宙に消えて、幻のように霧散してしまったかに思えた頃。
『―――そう、同じ<いのち>だ。』
「・・・!」
 その響きは、暗闇から月夜を見上げる浮遊感と共に、じんわりと沁みてくる。
 胸に灯った温かさは、頬を伝う雫のようだった。
「・・・うん! なら大丈夫だよ。人も鳥も魚も、馬も虫もなにもかも。カタチが違うだけで、みんな同じ<いのち>だよ! だから、 いのちを響かせれば、わかりあえる。」
『――――――――。』
「・・・わたし達のように!」
『―――――。』
 真っ直ぐで純粋な音色は、歪みを調律しながら共鳴する。 
 いつしか凍てついた氷も溶かす陽の光のように。
『―――昔は、縛りなどなかった。』
「・・・むか、し?」
『―――ああ。お前にとっては遠い遠い昔、私にとっても懐かしい記憶になる。』
 小鳥の囀ずりが聴こえてくるような、優しさが滲む語り。
『―――我らも人も皆が音を奏で、<うた>を唱っていた。』
「・・・そう、なの?」
 本当だよ、という返事に理想郷を垣間見た気がして。一陣の風に視界が開けたように明るくなっていった。直後、微かな負の感情が混ざったことに気付くのが遅れる。
『―――だが、そのせいで<あれ>は起こった。』
「・・・あ、れ?」
 尋ねても詳しい答えはなかった。
 一変張り詰めた空気に胸がざわたついたが、代わりに蕾が花開くような囁きが漏れ安堵する。
『―――お前のような、お前達のような人間もいるなら、同じ過ちは起こらないのかもしれない。』
 新しい導があれば、また自由に。
 そう小さく呟きがあって。
『―――だからお前は、生きなさい。』
 ・・・・・?


「――――るんだ! 起きてくれ!」
「・・・・・っ」


 強烈な光が目に飛び込む。掴まれた肩が少し痛い。
 突然の覚醒に頭がついていけなかった。
 霞む視界の先にやがてはっきりとしてきたのは、
「・・・テオ、ドール・・?」
 いつもの硝子のような無表情ではなかった。取り乱した、見慣れた顔の見たことのない表情がそこにはあった。
「良かった・・・」
 地べたに両手を付いて項垂れる姿は、全くと言っていい程似合わなかった。つむじをぼんやりと眺めながら、フィーは入れ替わり起き上がる。
「どうし――――」
「時間がない、逃げろ。祓魔士の<断罪>は、自我を失う。お前がお前じゃなくなる」
 フィーが口を開くよりも早く、顔を上げたテオドールは一方的に言葉を重ねる。
「な、に、どう」
「とにかく、ここをでるぞ」
 半ば強引にフィーは引っ張られ、つんのめりながら立ち上がる。
 あの叩いてもびくともしなかった檻は今や開け放たれ、屈みながらくぐり抜けた。
 左手には牢屋がずらりと奥まで続いていて、テオドールの持つ燭台の光も届かない所まで闇が伸びていた。
 見張りは、あのオリオという少年やその後来た二人組も誰も見当たらなかった。そのままおぼつかない石畳を足早に登る。
「テオドールは―――」
「オレの事は良い。今は自分の事だけを考えろ」
 有無を言わさない口調。掴まれた手首は同じ体格とは思えない強さが込められていた。
 時を知らせるものが何もないこの地下牢では、あれからどれだけの時間が経ったのか、他の場所で何が起こっているのかも全くわからなかった。
 テオドールが今までどうしていたのかも、どうやってここに来れたのかも。
 そして、
「セイレーンは?! セイレーンがどうなったか知ってる?!」
 一番気掛かりなことはそれだった。
 振り返らずに螺旋階段を駆け上がっていくテオドール。ほんの一瞬だけ、その動きが止まった気がした。
「・・・大丈夫だ」
 迷いを振り払うように速度が速くなる。
「セイレーンも大丈夫だ。オレがなんとかする。だから、だから早く――――」
「・・・・・っ」
 ここまで焦った様子のテオドールなど見たことがなかった。表にそこまで出ているわけではなかったが、いつもの冷静沈着さとは駆け離れていた。
 動揺してフィーが質問を重ねられないうちに、出口は見えてくる。
 小さな部屋。本がぎっしり並んだ壁に、高さの揃っていない小さな木机。脇をすり抜けると今度は真っ直ぐな階段が続いていた。
 今までとはうって変わって、足音を忍ばせたテオドールは空いた方の手で口許に指を当てながら振り返る。フィーは戸惑いつつも、頷いてそれに倣った。
「「……………」」
 久しぶりに感じる自然の光だった。
 分厚い木で出来た扉は静かに開けても嫌な音を立てた。身体を滑り込ませるように通り抜けるとまた階段。今度は格子状の頑丈な扉を開けて、よくやく地下から抜け出した。
 風が吹き抜ける井戸端。
 教会の裏手に当たるのか、遠くにいつもとは真逆の大鐘楼が見えた。
 テオドールに手を引かれるまま、フィーは庭とも言えない空き地を突っ切っていく。そのまま迷路のように入り組んだ通路をいくつも進んでいく。
「あーあ。俺も行きたかったなあ!」
「「!」」
 何個目かのT字路に差し掛かった直後、左斜め前方から響いてきた声に二人は身を強張らせた。咄嗟に踏み止まるも勢いあまって、つんのめてしまったフィーをテオドールが支えてくれる。
「そういわないの」
「だってさぁ」
 声は最初の男性だけでなく、女性のそれも重なった。
 扉が閉まる音がしたから、今部屋から出てきたのだろう。
「祓魔士の〈断罪〉とか、生で見れる機会そうそうないじゃん? しかもあのセイレーンだぜ?見たかったよ」
「仕方がないでしょう。私達はまだ見習いなんだから」
 鼓動が跳ねた。
 思わずビクついたフィーの様子を見て、テオドールの顔色も変わる。
「今から涙岬までひとっ走り行ってくっかなー」
「バカなこと言ってないで早くしましょう。これを全部執務室に運ばなきゃいけないんだから」
「あーでもさあ? 残されたの俺らくらいじゃん」
「こういう仕事の積み重ねが大事なのよ! ほら早く!」
「へいへーい」
 カチャカチャと小物がぶつかる反響音と共に、二つの足音は幸いにもフィー達とは逆の方へ向かっていく。
 それが聞こえなくなるよりも早く、
「っ」
「おい、待て! 待つんだフィー!」
 テオドールの手を振り払って、フィーは一目散に走り出した。周りの目など気にする余裕はなかった。無我夢中で教会の中を走り抜け、出口を探す。何事かと目を見張る衛兵や聖職者達を尻目に、不思議と辿り着いた勝手口から教会を飛び出した。
「セイレーン・・・っ」
 引き留めるように、追いすがるように呼ぶ。
 呼吸も忘れて走る―――ただひたすらにその場所を、目指す。





 人、人、人。
 人だかりが城壁のように密集していた。
 いつもとは違う視点から見るそれに、押し潰されるのではないかと恐れを抱く程だった。
 通称、涙岬と呼ばれる此処はローレライの街でも有名な観光名所であるらしい。滴るような岩肌がまるで流れる涙に見え、ちょうど東に伸びいる。そこから望む朝日は海を染め上げ、それはそれは美しく幻想的なのだと教えられた。
 今は太陽が真上に昇りきり、傾き始めた時刻。
 朝でもないのにこの場所が賑わいをみせているのは、とある見世物があるからだ。
 ―――これは、祭りの余興。
 明日に控えた聖フォルトゥナ祭の前祭として、急遽催されることになった一大イベント。
 大方この地区の司祭か重鎮が言い出したのだろう。
 その趣向から是非が問われるが、この人だかりを見れば成功になるのだろうか。
 これから起こることが当然と思う自分がいるのと同時に、不愉快さと微かな疑問が胸の奥底をつく。無理を言って予定に組み込んだのは、強い興味を惹かれたからだ。
 厚いレースのかかった馬車の外から歓声が沸いた。
 向かい合って四人が座れる籠の中からでは、両側に人払いがされていてもそれを目の当たりにすることは難しかった。窓に顔をつけんばかりに身を乗り出すと、斜め向かいから険しい視線が突き刺さる。
 次に飛んでくる筈だった注意の言葉よりも早く、

「―――――!」
「・・セイレーン・・・っ!」

 目の前を疾風のように駆け抜けた人影があった。
 硝子が微かに震える。
 一瞬の出来事であった筈だ。
 細かい刺繍に隔たれた向こう側だった。
 にも拘らず、―――ひとりの少女の姿が、声が、目に耳に焼き付いたように止まった。
 理由はわからない。
 ただ、心臓が跳ねて息を呑んだ。
 少しの間茫然としていたに違いない。
 そして群衆に一際大きなどよめきが沸いて、
「――――っ」
 意識が戻ると同時に馬車の扉を開け放っていた。
 ドレスの裾を捲り、ブーツの踵で勢いよく地面を踏む。

「なっ何を、お戻り下さい! 約束と違いますわ!―――ユリスティーナ様!」

 制止の声など耳にさえ届かなかった。
 本能的にあの少女の後を追わなくてはならないと思った。
 一歩、また一歩と進む毎に鼓動も大きくなっていく。今だかつてない緊張に支配される。
 その道が続いている先に何があるかなど、――――まだ。知る由もなかった。

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