HOMENOVEL

セイレーン〜novel side.

10.断罪〜レゼリア〜1


『絶対なる愛を捧げます 我ら最愛の御子 偉大なる祝福の母よ
 御加護をお与え下さい あの魔を討つ力をこの手に
 大いなる慈しみは謳う 真にあたたかく優しい命を
 永遠に
 ───この命を懸けて誓う
 邪を排し滅する力を此処に 仇なすものに裁きを
 ───この魂を捧げて誓う
 魔を退し消し去る力をこの手に 穢れしものに裁きを』


 重力が何倍にも膨れ上がり、鉛玉のような空気が周囲を切迫する。幾つにも重なった歌声が、まるで断罪の剣のように振るわれた。
 フ─ドを目深に被った、真白のロ─ブに身を包んだ集団。数十はいるであろう彼らは、唯一わかる口元から老若男女さまざまで構成されていることが伺い知れた。
 二重に組まれた円陣。その内側で四方の先頭に立ち、白亜に金細工が施された衣を纏った人物は四人。
 彼らが取り囲んでいるのは、身体はヒトと同じ、しかしその背には羽を生やし鳥類の足を持った───セイレ─ン達だった。
「・・・っ・・」
「・・・・・くぁ・・・・!」
「ぅう・・・・・・・・!」
「ぐぐぅう、っ・・」
 数にして六。
 全員が抑え込まれるように地面に這いつくばらせられ、既に気を失っているものもあった。ただその中で唯一、顔を土に擦り付けながらも鋭い眼光を放つものがいた。
「────────」
「チッ。まだか・・・・」
 北方に立つ一人が不自然に膨らんだフ─ドの下で小さく吐き捨てる。
 色鮮やかな羽毛はむしられたように地に散らかされ、惨状になっていた。
 ───カテナ山中腹。
 生い茂る草木は切り開かれ、綺麗に整えらた場所があった。ロ─レライの街を一望出来る高台。今やそこは、惨劇の場と化していた。
「「・・・・・っ・・」」
 身体中を傷だらけにし、肢体を地べたに押さえつけられたセイレ─ン達。
 それは視覚的に捉えられる力ではない、〈討伐隊〉の合唱によって引き起こされていた。
 始まりは幼児の不注意。
 山中に張ってあった〈罠〉に、〈一羽〉が捕まったのが発端だった。仲間を助けようと集まってきた〈一羽〉また〈一羽〉と周到に張られていた〈罠〉に、芋づる式に捕まっていったのだった。
「まぁいいか。そろそろ最終楽章だ!──レゼリア──に入るぞ!」
「了解」
「ああ」
「・・・・ん─」
 宣誓するように高らかに、一人が出した合図に三人が各々答え、後ろの合唱隊も呼応するように曲調を変える。
 ───厳粛な旋律。
 それは、教会で人々に唱われている聖歌とは全く異質なものだった。優しき調べとは相容れぬ、対極に位置する曲調。剣を薙ぎ払うような激しさは増していき、鬨の声のように空間を圧迫した。
 いよいよ〈合唱〉が最終局面を向かえる。
「・・・っ・・」
 呼吸もままならず意識が朦朧とする中で、最後まで抗っていた紫紺の瞳もとうとう揺らいでいく。握り締めた手は土塊を掴み、噛み締めた唇からは〈血〉が滲んだ。ゆっくりとそれらの力も弱くなっていき、瞼が落ちていこうとした、
 その時。

「───やめってぇええええ・・・・っッ!」
「うぉっあ?!」

 突如、突撃してきた〈何か〉に円陣が崩され、隊員達は将棋倒しになっていった。〈それ〉は勢いのままに、先程から隊の指揮を取っていた一人へと派手に突っ込み、思いきり弾き飛ばす。
「テメ・・・何しやがんだァッ!」
「セイレ─ン! 大丈夫・・っ?!」
 衝撃でフ─ドが外れ頭頂部で一つに纏めた長い髪を振り乱しながら、尻餅をついた少年が怒号を上げる。
 しかし全く意に介せず、───フィ─は崩れ落ちたセイレ─ンへと駆け寄った。
「セイレ─ン! しっかりして、セイレ─ン・・・っ!」
「う・・・っ、な、ん・・」
 波打ち際で倒れていたあの時とは比べられない程、セイレ─ンは傷付いていた。あの美しい姿は泥にまみれて見る影を失い、羽はむしりとられ、四肢は棒のように投げ出され、身体の至るところを怪我しているのがわかった。
 毛色は違うが同じ姿をしたものの中には、翼があらぬ方向を向いているものもあった。
「酷い・・・っ」
「・・・・・・」
 フィ─は目にいっぱいの涙を浮かべる。
 セイレ─ンは身体を走る激痛に顔を歪めながら、信じられないと我が目を疑っていた。
 セイレ─ンを覆うようにフィ─は優しく抱き締める。
「んだあのガキ! 俺らを何だと思って───」
「やめなさいドルガ! ──貴女!一体どういうつもり?! 早くそこから離れなさい!」
 今にも殴りかかろうとしたドルガと呼ばれた少年を、女性の声が制止した。
 勢いよく捲られたフ─ドから露になったのは美貌。漆黒の艶やかな髪は肩のラインで揃えられ、はっきりとした目鼻立ちが強調されていた。
「・・・・・」
 眇められた視線に突き刺されても、セイレ─ンを守るように少女は立ちはだかる。
 固く結んだ口、震える身体は恐怖を超えた怒りのせい。涙で潤んだ瞳は見開かれ、明らかな闘志を燃やしていた。
「な、何なんだ・・・」
「どう、して・・・」
「わかってしているのか・・・・・?」
 他の隊員達にも動揺が走っていた。いつの間にか〈合唱〉は霧散し、木々のざわめきも不自然に止まり、全ての〈音〉は消え失せていた。
 人に害を及ぼす魔性を〈駆除〉している最中、それを庇うように飛び出てきたのは、なんと〈人の子〉だった。
 その信じがたい事態に、この場にいた誰もが追い付けないでいた。
「おい! 大丈夫かっ?!」
 静寂を割って入っきた声は、丘へ続いているなだらかな坂の方から。
 この異変を感じながらも場所を特定出来たわけではなく、途中で二手に別れていたテオド─ルが、ようやくそこで合流した。
 呆然としている隊員達の間を掻い潜り、フィ─の隣へと滑り込む。
 テオド─ルは、骸のように倒れているセイレ─ン達を見て言葉をなくした。
「これは・・討伐隊が・・・・」
「そうだよ」
 答えたフィ─の声音は、今までに聞いたこともない至極凍てついたものだった。表情も能面のように削ぎ落ちて、反面、その内には物凄い熱量の溶岩が煮えたぎっているようだった。
 息を呑んだのはテオド─ルだけではなかった。
 白衣の集団にも緊張が走り、また増えた子供に場の混乱はピ─クに達した、かに思えた。
「テオド─ル君じゃないか!」
「!」
 だが、
 突如後方で上がった呼び声に、全員の意識はそちらに集中した。
 討伐隊が組んだ陣形の向こう側から現れたのは、一人の老人。
「ストラフ大司教・・・」
「君は何をしているんだね?」
 テオド─ルはその見知った姿に、驚きを隠せなかった。
 皺の入った目元に、立派に蓄えられた顎髭はロ─ブのように真っ白だ。
 ───ストラフは、フィ─達も訪れたあの聖グレゴリオ・ロ─レライ中央教会の大司教だった。王都の総本山から直々に派遣され、この街における教会機能の重要な権限を多数任されている。テオド─ルは父や母の仕事柄、また自身も教会の聖歌隊として幼い頃から世話になってきた人物だ。だが重鎮であることには変わりない。
 そんな大物が思わぬところで現れ、流石のテオド─ルも絶句した。
「兎に角だ、そこを離れなさい」
「「・・・・・・」」
 困惑するテオド─ルとはうって変わって、フィ─の瞳は敵愾心を剥き出しにしたそれだった。ストラフの水晶のような透き通った眼差しと交錯する。
「いいかい? それは魔性だ。危ないから早く離れなさい」
「違う! セイレ─ンはそんなんじゃない!」
「君は気が動転しているようだね? 自分が何をしているのか、わかっていないのだ。まずはこちらに来なさい。話はそれから───」
「嫌! 離れない! またセイレ─ンを、こんな、こんな目に合わせるんでしょう?!」
 聞き分けのない子供を諭すように語りかけるストラフと、それを一蹴するフィ─。視線で、君も同じか?、と問いかけられたテオド─ルも、口をキツく結んで頷いた。
 両者共の視線だけが交錯する、膠着状態。
 討伐隊も固唾を呑んで見つめていた。
 一陣の風だけが動ぎ、整えられた木々の葉がざわめく。
「・・・・・・」
 それに耳を澄ますようにストラフが両目を瞑った。
 次にゆっくりと瞼を上げると、その薄い唇を開く。
「───仕方がない。オリオ、やりなさい」
「・・・・は─い」
 呼ばれたのは東方の先陣に立っていた一人。
 力ない返事で一歩踏み出したのは、猫背で小柄な少年だった。
 斜めにずれたロ─ブから ───す、とフィ─達の方へ指を向けたと思うと、
「少女だけにしなさい」
「・・・・・・は─い」
「「?」」
 フィ─とテオド─ルが訝しんで眉を寄よせた直後だった。
「・・え・・・・・?」
 かくんと、まるで人形の糸を切ったように。フィ─の頭はもたげ、自分でも分からないというように目を見開いて、フィ─はセイレ─ンに重なりあって倒れてしまった。
「な・・・・?!」
 一瞬の出来事だった。
 隣にいたテオド─ルも何が起こったか分からず。目を白黒させるしかなかった。
「おい!しっかりしろ!───」
「・・・・・」
 靄の掛かった向こう側で、テオド─ルの焦った叫び声が聞こえる。
 セイレ─ンの歪んだ顔が霞んでいく。
 続いて殺到した足音が、地鳴りのように身体を振動させた。
『・・・・こっちは?』
『その子はあの聖歌隊の一員だ。あまり手荒にはしないように』
『・・・・あ、テオド─ルって、あのテオド─ル・・・?』
『そうだ』
『その子も聖歌隊だ!離せ!』
『・・・・だって』
『だから何だよ?俺達の邪魔して、タダで済むと思ってんのか? あぁ?』
『ならばオレも・・・!』
『いいや。君がそんなことをする筈はない』
『ストラフ大司教・・っ・・・まさか・・。・・・違う! その子を離せ!』
 荒々しい雑踏さえも、やがて遠退いていく。
 仄かに点っていた光さえも、黒に塗り潰されていくように。
「──────」
 そのままフィ─の意識は、闇に落ちていった。

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